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第1089回 たかじん委員会 教育授業編 教育目的なら必修よりも選択制 [授業]

 さて今週もたかじん委員会の話で行きますけども、今回の話は主に新規授業体系における教育での是非の論でしたかね。
 まあそれで基本的に取り入れるのは構わないのですが、それを全員に押し付けるのはどうかと思いますね。遊びの範囲であるならばよいのですが、それに点数や成績を付ける段階までも全て必修にするならば、それは子供の成長と教育に対する無駄な効果になりやすいという話で行きます。
 ついでに今の先生たちの負担過多な状況を抜本的に解決させていく方法もいくつか話して行く予定です。そうしないといずれ日本の先生の成り手が居なくなる可能性がありそうなブラック状況すぎますからね。先生に万能を求めようとするのなら、その代役は機械(AI)がふさわしい。それが嫌なら先生たちを使い殺すしかなくなる。機械はダメで人殺しはOKな学校教育こそ問題ではないでしょうかね?

 さて時事は学校関連にも少し関係のある神奈川県で発生した自殺目的での児童殺傷事件の話ですけども、いろいろ情報が出てきだして、犯人の昔の子供時代の経歴や今の状況等で、苦しんできた背景と今の終わりが近い経済状況や生活状況の件を含めて考えたら、どうせこのままでは近い内に今の生活に終わりが来てみじめな死を待つしかないのなら、過去の養育者達からのいじめや差別の恨みと、それで優遇されていたいとこの状況で、その出身校の学園に狙いを定めて、昔その犯人が手に出来なかった幸せを得ている子供たちに自分が味わった苦しみを少しでも味合わせようとして、そのまま死ぬ目的で最後の華々しい形で大々的に世間に取り上げられる最後としてのあの犯行に及んだという辺りが最も今の状況では近い動機になるのでしょうかね。
 それが正しければ結局は負の連鎖から来る状況でもあり、社会的経済的格差がある今の状況から来る犯行でもあるという事になるのでしょうね。
 最後に犯行に駆り立てた事は、多分今の状況から見る生活面の不安だったという事でありましょうし、その他の主だった事件となる生活苦で死のうと考えて包丁持ち出して警察官に撃たれて死んだ男性もまた同じような事が引き金で起きた状況ですから、今回のような事件の発端にあるのはそこであると言えて、やはりそれらの問題において今の生活保護や年金の制度だけでは、そういう犯罪に駆り立てさせてしまう状況にあるという事だから、やはり私が提唱する衣食住最低保障の制度がこれらの犯罪の最大の抑止に繋がると思いますけどね。 日本国民が等しく普通に受ける事の出来る生きる事についての保障を担うこの制度こそが、こういう生活苦から来る自殺目的の犯行を止める抑止力になり得る物だと思うのですけどね。 結局は貧困が生み出した事件であるという事であり、前に言った通り富裕層と貧困層の戦争の形で今回子供たちが被害に遭ったという事なのでしょうね。
 それを作り出している社会を何とかできない限りこのような事件の発生は絶対に防いで行く事は出来ないという事でもあるのでしょうよ。
 問うべき言葉は、社会において大事な物はお金ですか?命ですか?

 という重苦しい時事から、これまた話的には少々重い学校教育での授業体系などの話に、先生たちへの超ブラック状況の対策の話などをしていきます。
 それで今回の教育授業での話は主に最近増えたり増やす予定のダンスと英会話とプログラミングの授業についての是非等を論じて行く形になっていましたが、私としては今回これらに個別に話して行くような事はせず、まとめて切りますが、遊びの延長線上として楽しく覚え込ませるレベルの段階であれば全部OKだが、点数を付けたり優劣を付けたりする段階においてまで必修で行かせる事には反対の立場ですね。 それらは選択であればよくて、子供たちが学びたいと考える事を学ばせていく方向性での自由性を持たせていくべき授業の形だと考えます。
 というか全部万能に詰め込ませようとしても実社会ではあまり役に立たない大人にしかならない可能性が高く、万能型であればAIに完全劣るでしょうから、それこそ就職先が無くなる状況に陥らされるだけでしょうね。さらに言えば、その詰込み授業によって授業時間を長くさせたりしたら、子供の自由な発想能力等が削られる事になったり、遊ぶ事のコミュニケーション能力が削られる可能性に繋がる恐れもあり、授業としても平均化させなくてはならずにそれぞれが中途半端な所で終わる可能性も高く、それこそ無駄な教育体制で中途半端な教育に終わって社会で使えない状況にされる可能性が高くなるでしょうね。
 そんなのは最早教育と言って良いのかというほどの無駄体制でしかなく、教える側の先生たちの負担も増やされまくって、先生の数が減る一方でのさらなる教育体制能力の欠如にも繋がって行く事になり、日本の教育体制の破滅を迎えそうな感じにも見える状況でもあると言えそうですね。
 というかそれでストレスが溜まるから、発散目的で子供に手を上げたり、いじめを無視する状況に繋がっているのではないでしょうかね?
 さらに言えばそれぞれの必修における強制授業での強制優劣の付け方で、いじめを助長させていくような形になるのでは、子供を殺して行く為の授業体系とも言える話にもなるでしょうね。
 それが正しい形だと言えるのでしょうかね?
 知っていますか?必修と強制は学校授業においては同義語にもなり得る言葉であり、それを無理やり押し付けて覚えさせても、効果は見込めないという事ですよ。それは教育ではなく、罰と同じ形になる。今のやり方では子供に罰を与えていると同義にもなるという事である。

 まあとは言え、基礎の基礎の部分は教えさせる必要はあるのだが、その際には点数や優劣などは付けない形で、遊びの延長線上の話として楽しみながら覚えさせていく形に出来れば、学校授業における最低限必要な所の勉強は賄う事が出来るでしょう。
 基本はそれで良いのですよ。後は子供たちが学んでいきたいと思う授業に集中させて特化して行く形で学校がそのサポートをしていくという形の教育体制に持っていければ、子供たちの成長はどんどん高められていって、それぞれがそれぞれの形での極めるべき頂点に向けて高みを目指していける形の教育状況になって行くでしょう。 それこそが教育体制において必要な事なのではないでしょうかね? ある程度型にはめさせたらそこまでかそれ以下にしか育たないが、最低限の形を本当に少なくして、あとは全部子供たちが自分から学んでいきたい物に焦点を置いて学校が全力でサポートして行く形に出来れば、それは教育の状況として天井が見えない形でどこまでも上を目指して行く形で教えて行ける教育体制に出来るのではないでしょうかね? それこそ、今の社会が求めている子供の成長の形ではないでしょうかね?
 私はその形が日本の教育体制として必要な事だと考えますね。

 ちなみに学校での運動に関しては、ダンスとか武道とか固定のスポーツだとかに型をはめさせるのではなく、体を動かして基礎体力を上げさせる事が目的ならば、どんな運動の形でも良いという事だから、それぞれが個別にかなり自由に選んでいく事が出来るような形にして、その上でそれぞれにテスト的な所に自分なりの目標を立てさせて、そこに向けて運動をさせて行くという事にさせて、その練習結果なりを先生たちが見て判断するとか言う所にしたら、別に先生たちがそのスペシャリストではなくても、ある程度の判断は可能でしょう?という事で運動状況での基礎体力の形は見極められるようになるのではないでしょうかね?
 その形においては、パネラー人達も言っていた劇の形式を取り入れたりする事や1人でも簡単に運動が出来る辺りで、縄跳びやらフラフープとかも入れたり、各種スポーツ等も取り入れさせたりして良いのではないでしょうかね? 個人やグループごとにそれぞれの目標立てを宣言して、それを先生や親しい友人などに見せて判断してもらうような形にすれば、別に先生がそれら全部に合わせる必要もなくなって、ある程度楽に仕事が出来るようになるのでは? そして子供たちとしても自分が出来る程度での好きな運動の形で行く事が出来るので、優劣は付きにくいし、好き嫌いで分けられるので、好きな分野を伸ばす事にも繋げて行ける。特にスポーツ選手系にとっては、この授業時間は全て自分の目指すべき道の為の時間に使えるようになるので、強い選手が生まれやすい授業の形になって行く。
 それで大事な事は、学生にテスト形式での自分なりの目標を立てさせてクリアできるかどうかで判定して行くという事ですね。 ちなみにその目標に関しては、ある程度今の状況を先生も判断して適度な感じの所で決めて行くという形にすればよい。つまり高すぎず低すぎずな形であれば、良いという判断な感じですね。ある程度の練習で基本的な体力が付きそうな段階の所を最低基準にしたら大体分かりやすくなるでしょうかね。
 そして結果は目標を達成できたかと、体力の付き具合で判断したらよいでしょうね。
 基礎体力が付く事が目的ならば、この方法で十分だと思うのですけどね。

 それで最後に今の授業体質などで先生たちに負担がのしかかり過ぎて相当ブラックになっている件に関しては、簡単な解決策に関しては学校という施設に専用のAIの形を置いて、各先生たちの仕事のサポート等を行なってもらうような形に出来れば、今の状況から見ても50~60%ぐらいは軽減できるでしょうね。 詳しくはそのAIの学校施設の回から見てもらえれば良いのですけども、教科書に載っている範囲での授業形式でなら、別に先生がやらずともAIに任せる事は十分に可能であり、その他の子供たちの状況の見守りや書類作成などのサポートに学校警備等も含めて全部AIのサポートでかなり賄えるでしょうから、先生の負担削減から今の学校の問題状況の改善にはかなり役立てられるようになるでしょうし、先の特化型授業形式においても、AIである程度まではサポートする事も出来るでしょうから、その辺で止まる心配もあまり無くしていく事が出来るでしょう。
 そして追加のシステムとして、各種の専門的な先生たちが少ないという件に関しては、今のリアルタイム映像通信で大きく投影させる機能を使えば、離れた所にいる専門の先生の教えを離れた所にいる複数の学生が学んでいく形にする事ができ、それによるネット繋ぎ型での合同授業形式で、距離的な問題を無くして、より高みを目指せる先生たちの下で教えてもらうような形にしていく事は可能となるでしょうね。
 そこに居る先生たちだけで賄う必要は無いのです。教える事だけが目的ならば、ネットで繋いでリアルタイムで投影させて、受け答えできるような状況で1つと複数を繋げれば、1人の先生から全国各地の複数の学生が同時に教えを受ける教育体制にする事は可能となるでしょうね。
 こういう形でならば、今の先生たちの数の少なさはある程度カバーして行く事ができ、1人の先生に万能さを求めさせる形で負担を押し付けて行く必要性が無くなる。

 ちなみに忘れていた所で、学校授業の英語に関しては、これまでにも何度も言っている通り、別に直接英語を話せる能力が必須にする必要はなく、便利な機械でかなり補っていく事が出来る状況になっているのですから、必要とする子供だけが学んでいく形で十分だと思いますけどね。
 今の時代スマホなんかでしゃべるだけでも自動翻訳されたりする状況ですからね。昔とは科学技術の進歩の状況は違うのですからね。 そしてそれの耳掛け版等も出来ていたりする状況ですから、それがあるのに英語や英会話は必修だというのは道理が付かないと思うのですけどね。
 そしてそれで日本語が満足に話せない日本人はありなのでしょうかね? 自国の文明言語を滅ぼしてまで、英語にこだわる必要性はないと思うのですけどね。そこまでアメリカの植民地支配を受けたいのでしょうかね?
 むしろそれをやるぐらいなら、国語の中に地方それぞれで独自の方言を学べる授業とかをやったら面白いのではないでしょうかね? 日本語を学ぶという意味でも、独自の文化言語を守るという意味でも面白い授業の形に出来るのではないでしょうかね? もちろん選択制ですよ?
 ついでに言ったら、その流れで全世界全ての言語を自由に学ぶ機会があっても良いような気もしますけどね。外国語の最初が英語である絶対性はないと思いますし?


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 たかじん委員会~終了~教育授業 必修と選択制





























 自分の好きな事や目標に向かっていく時が、1番やる気が出せて頑張って覚えて行こうとする事が出来る状況であり、それを作り出して行く事が出来れば、教育においては最高の状況であるとも言えて、それを作りやすい形が私の教育理論の形であるという感じですね。
 そして基礎の部分は、全部遊びの延長線上ならば、無理なくそれらを覚えさせていく事ができ、それらをあまり負荷に考える事もないでしょうから、成長の妨げにもなりにくく、基礎を学ばせやすい形となる。 なので、その基礎の際には点数などを付けずに、どれだけ楽しく覚えて行けるのか等を重点に行けばよい。 それにおいては、点数形式ではなく、遊びの延長線上として、取り込む形で学ばせていくのが良い形となるでしょうね。 END

 ちなみに私は教育者には向いていません。特別講師とかなら良いのですが、理由としては、私の苦手な事として人の名前を覚えられないからですね。2~3人でも数ヶ月かかるというのに、10人以上だと、覚えられる自信がない。なので無理。覚えなくても良いなら別だが。
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