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第1026回 たかじん委員会 女性差別問題 必要な物は、多様性と自由社会 +セクハラの定義 [政治経済改革]

 さて今週もたかじん委員会の話で参ります。 今回テーマに挙げられたのが女性差別の問題に男尊女卑の話辺りですかね。まあ日本ではあまり変わらずに酷い状況が未だに続いていますが、完全なる男女平等が正しいとも言い切れない話ではある問題ですよね。完全にしようとしたら、それから外れる人は必ず発生してくるので、なるべく男女差別のない平等な形が最善であると言えるでしょうかね。

 ただまあ、本来時事の辺りでの話という事にしますが、今回の冒頭でも話題になったセクハラに関する状況ですけど、男性差別が入り込んだセクハラ発言には本当の意味でのセクハラに認定されるような事にはならないかと思い、それがセクハラという事の曖昧さを如実に表しているのだと改めて思いますね。
 このセクハラにおいて定義付けが曖昧になっている最大の要因は、それは女性の感性によって認定される条件が違う事とされていますが、これは少し外れで、女性が自分たちのペースに巻き込んで相手を攻撃しやすくさせる為にセクハラの定義の中に入れ込んでいる為の状況で、それ故に本来のセクハラの定義を曖昧にさせてあやふやな物に変えてしまっていると言えますね。 そしてその隠された本質は男性差別にあり、女性の感性によって男性のタイプや人柄によってセクハラの認定が変わるというのは、その行為が男性差別での攻撃目的でセクハラと言っている事になり、男性のタイプや人柄によって変わってしまう判定の物は、セクハラに定義されないと言えるでしょうね。
 だってそこに介在する物は女性が思う個人毎の好き嫌いで判定されるのだから、嫌いな人の行為は何でもかんでもセクハラと言って男性差別の攻撃にしている状況になり、本来は性的に絶対嫌悪して防衛する為の発言が、攻撃目的で使われる事が増えた為に、定義が曖昧になってしまったと言えるでしょうね。
 その状況を踏まえて正しくセクハラに該当する判定基準で言えば、女性が思う男性の好み等(好き嫌いや見た目等)に拘わらず男性などにされて性的に嫌な事がセクハラに認定される行為となるわけですね。 もちろん好きな人同士であればこの定義には入りませんが、知り合い(好き未満)や他人程度の形では、それが正確な判定基準の目安となるでしょう。 ちなみに、男性が女性にされてセクハラだと感じる事も同様と思ったらよいのでしょうが、基本的にこの判定は一般的な感性の内容で話されているものであって、ドМ等は一般から除外して判定の正確さを出すと良いでしょうね。
 それ以外の女性が発するセクハラと言う言葉はほぼ全て好き嫌いで嫌いな人に対する個人攻撃での男性差別による発言であると言えるでしょうね。 これを同一視させるから、セクハラが曖昧で男女差別が無くならない原因となるのです。 つまり、事この事に関して言えば、女性側にも大いに問題があるという事ですね。一般的な好き嫌いを盛り込んでしまえば、人種差別的攻撃をセクハラと言う言葉に変えて発言出来るわけですからね。 それで本当に被害を受ける女性が泣き寝入りする事になったら本末転倒だというのに、そこの所少しは考えられないのでしょうかね? 結局はブーメランとなり返ってくる事になる。

 それで本題の女性差別の問題の話に移って行きますけども、今までの世界全体でも見る過去の状況では、大体女性が差別に遭う状況で虐げられる形になっていましたが、それが基本であった時の幸せの価値観は十人十色ですけども、今回の放送での女性は虐げられてきたから絶対的に全員不幸であったという意見を曲げない極端な思考の女性は、それがいけない事で全員が必ず不幸だったと代弁するかのように主張していましたが、それは今の感性による価値観から来る考えで一方的に決めつけて物を言っている発言であり、当時の女性たち全員の気持ちを一緒くたにして、幸せだったと思う人の思いすらも踏みにじる女性目線では言ってはいけない発言が多々あったと思いますね。
 まあ代わりにこれまた発言内容が極端な女性蔑視の代表格な皇室親戚な男性もいましたけども、こちらはいろいろと論外ですかね。男尊女卑が当たり前の価値観で育ってきたが為に、それ以外の多様性は認めないような発言が多々ありましたからね。 全部まとめて過去の人たちの思いを勝手に代弁するなと言いたい所ですね。
 過去は過去の感じ方であり思いの持ち方であり、その当時の価値観の中で幸せかどうかを個別に感じ取って生きてきていた人たちに一概に幸せか不幸かの2択でまとめるというのは、過去の人達に対する侮辱であり偏見に満ちた考えであると言えますね。
 人の思いは人の考えは全部「はい」か「いいえ」で決められる事ではなく、もう1度言いますが十人十色で千差万別な幸せや思いの価値があると言えて、今に生きる私たちが勝手にあれこれ言って良い話ではないと思いますね。 まあその中で話に挙げて良いのは思いが綴られていたり気持ちが残されている人達の思いや価値観であり、それ以外の人達をそれと一緒にするのは間違いだと言えるでしょうね。
 もっと考え方には多様性が必要であり、いろんな思いや考えの人がいるという事を知っている上で、この女性差別や男尊女卑の問題の話をしていく必要があると思います。

 それで現在まで続く日本でも解決されない女性差別や男尊女卑の問題いろいろですけど、女性差別においては、隠れながら男性差別も見え隠れしていて、男尊女卑は社会で未だに基本として残っていますが、一部などでは女尊男卑な状況も出てきており、男女平等とは程遠い状況が散見されている状況にありますね。 どちらも同時に解決していく形でないと、どちらか片方だけが勝ってもこの問題は永遠に解決できない問題だと思いますね。
 ちなみになぜこういう事を言うのかといえば、女性差別で女性の道が決められていたりする状況は、男性もまた同様に道が決められている事が多く、これを男性差別だと判定する事も出来るという事であり、どちらにおいても差別が出ている状況で片方だけを直そうとしてもうまく行きにくい状況になってしまっての今の状況にもなっているのかと思われます。
 つまり現状でも問題の本質が見えていない人が大勢いるから根本解決に導いて行き辛いという事でもあるのではないでしょうかね? まあ自民党政権が男尊女卑で女性差別最高としている事も影響しているとは思いますけど。

 それで問題に対して話によく挙げられる事は、男女のどちらが働き手となって稼ぐのかについてや育児に関してどちらが子育てを頑張るのか等についてで、基本的にその事の物の考え方の違いによって押し付けようとしたりして、問題になったりそれぞれ差別だと主張したりしている状況になっているという事ですね。 まあそれ以外に名前の性に関して、相手に合わせるか別々にしても良いとするのか等の細々とした話もいくつかありますけども、基本的には先の話が主要な部分であると言えるでしょうかね。
 それでその話に代表されるのは、生活費をどうやって稼いで生活していくのかと、そのお金に関してどちらが稼いでいるのか等での共同生活費等で揉めたり、子育ての担当などでも揉めたりしていて、果ては不毛な論争の家事や育児に関しての賃金体系の話にまで上がって、それを請求とかしていく話になったら、女性がそれで一方的に得られる形になったらそれはそれで新たな男性差別の問題や男性だと家事はタダ働きが普通だとされる差別の形になる等で、永久に解決の道は閉ざされると思われます。それをしなければいけない仕事として見ている状況の話では、永遠にそれを話していては解決に導けない事となるでしょう。
 というかそれじゃあ自分の為の家事をしている人は、それで誰かから賃金が支払われるのですか?と問いたいですね。
 専業主婦(夫)にとっての家事という仕事は、誰かの為だけにやる仕事で、そこに自分の事が一切含まれていない事だというのであれば、家政婦等という扱いなどと共に賃金体系などがあっても良いかと思いますが、そこに少しでも自分の事が含まれている上での家事の仕事や育児に関しては、賃金体系を絶対と認識する考えは少しおかしいかと思われますね。
 自分の為にやっている家事には元から誰かから賃金が支払われる事はないのにやっている事なのに、それが少しでも一緒になったりする人たちのことが加われば、自分の為でもある家事の仕事に賃金を要求するというのは、少々考え方が間違っているかと思われますね。
 それが始めから賃金を要求する上での契約の形であればそれで良いのですが、それでない状況で、いきなりその身分になったから賃金を求めるというのは、家事の仕事に対する思いの形を間違えて捉えていると言っても良いかのような状況であるとも言えるでしょうね。

 まあ現状は共に生活して行ったり子育てをして行ったりする中では、誰かがやらなければいけない話ではあるのですが、私のやり方の仕組みの中ではこれに対する絶対的な解決策の政策があるのですよ。昨日も話に出しましたけど、基本的に誰かが家族を養っていく必要性を無意味にさせるシステムとして、衣食住最低保障の制度があり、子育てに関してもどちらかが面倒や苦労を押してでもやらなければいけない状況をAI搭載の家と衣食住最低保障保育システムにてかなり改善させる事は可能であり、これらの絶対性の価値観の社会の仕組みをぶち壊して、多様性の形を認めて自由に生活して行く形が選べるようになります。
 基本が調われている状況ならば、稼ぐ事の意義はご褒美や楽しむ事に注力する事に繋げて行きやすくなり、家事や育児に関してもAI搭載の家にてほとんどお任せも出来る状況となれば、やらなければいけない仕事という事が無くなり、自分が進んで行なう事での行動となって、そこに不満を覚える可能性はほぼ無くなるでしょうね。(自分が好んで行う事に不満を覚えるって、どんな天邪鬼なのでしょうかね?) そこに押し付けられる男女での役割が無くなって初めて、男女における差別が無くなって行くのでしょうね。
 ならばそれらをどんどん無くして行くように、物事を考えて実行して行ければ、自然と多様性を認めて自由な社会の在り方で差別の少ない社会の形を見出して行く事も出来るでしょう。
 それでなら、男性が中心な所があるならば、同時に女性が中心となるような場所も作り上げて、双方ともに自由に選べて決めて行ける形にしていければ、社会的な差別の形も無くして行く事が出来るようになる。 ついでに言えば、社会の仕事の場に大量のAIと無人ロボットを盛り込んで行けば、自然と差別的な対象が男女から人と機械に変わって行く形となって、男女における差別の形がより少なくなっていく事と思われる。
 なぜなら、AIとロボットが大量に入ってくるようになる事で、人の存在意義はその性別の違いなどではなく、純粋な特殊技能や技術に知性等の考え方の強さに変わってくるので、より能力や思いの強さなどで見た時に、性別による差別は少なくなっていく事だと思われる。 だって、基本的な事は大体AIとロボットで賄えるのだから。 そして衣食住最低保障のせいで、無理に仕事をする必要が無くなるのだから。さらに言えば、単純に稼ぎたいだけなら、仕事は誰でも受けられる形の簡単農業まであるのだから、無理に差別を受けに行く必要性がどこにもなくなる。

 私の政策的な基本構想では、主体的な政治の大変革は基本の事だが、衣食住最低保障の存在によってあらゆる現状の問題に一撃を入れて行く事が可能となる政策である。
 日本を変えたいのならば、私のやり方が1番手っ取り早い。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 たかじん委員会~終了~女性差別問題





























 結局、物事の強制理論からはなにも良い方向に産みだせないもしくは非常に生み出しにくいという事でしょうね。資本主義等によって生きる事においての仕事を強制的にでもやらなければいけない事から、全ての問題の因果が始まっているような気もしてくる。
 生きるにおいて強制ではなく、生きるとは別に好きに自分がしたいと思える状況で仕事に挑んで行ける社会環境こそが、様々な差別や格差などの問題等の解決点となって行くのでしょうね。
 END
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